お酢大好きブログ@酢の情報バンキング酢の歴史お酢の歴史・日本編【お酢大好きブログ@酢の情報バンキング】

酢の歴史

記録によりますと、日本へは4世紀末の応神天皇の時代に酒造りと前後して中国から和泉の国に、その製造技術が伝えられたといわれています。

その後、桃山時代までは和泉酢の独壇場でした。江戸時代には相模の中原、駿河の善徳寺、尾張の半田などに伝えられ、いくつかお酢の名産地が誕生しました。

しかし残念ながら、和泉酢に代表される伝統的な天然醸造法は、現在ほとんど姿を消してしまい、文献などで知ることしかできません・・・

平安時代の「延喜式」には「米六升九合、こうじ四斗一升と水一石二升を六月に仕込み、十日ごとに四度かもし、酢一石を成す」と製法、材料が記されています。

伝統的な玄米酢の醸造法がほそぼそと伝えられていた南九州には、和泉酢とは全く違うルートで大陸から製造技術が伝来したと考えられています。

その名残りを多くの農家で、今は使用されずにころがっている「酢瓶」にしのぶことができます。

文政年間(約1800年頃)には鹿児島県の奥にある福山の地で、酒造家の竹之下松兵衛が米酢の醸造と販売をはじめました。この地域は水も気候も酢作りにとって、適した土地であり、酢作りは大いに繁盛したそうです。

最盛期には福山酢の醸造元は29軒で酢瓶は1万本を超えたと言い伝えられています。

しかし、昭和の初期には合成酢の出現から醸造酢は全国的に衰退し、戦時下の米の統制により、原料の入手が困難になり次第に途絶えてしまいました。

米の酢醸造への使用禁止の解かれた戦後も、醸造酢は復活することなくしばらくの間低迷を続けました・・・

福山でも、酢醸造のための「もろみ製造免許」をもつ人はたったの3人になっていました。

この醸造酢冬の時代に、薩摩隼人である黒岩東吾氏をはじめとする先覚者たちによって醸造酢復活の努力が始められました。いろいろな困難や問題を乗り越え、ついに昭和44年に古来からの天然醸造法による米酢の製造販売が復活したのです。

昭和30年代から後半からの「食品公害」、「複合汚染」、「自然食品ブーム」などの社会現象の影響もあり、天然醸造酢は味と効能の両面で需要と人気が高まっていきました。

いく度かの健康ブームの経て、天然醸造酢はその需要を伸ばしてきました。特に昭和63年のピークとする「酢大豆健康法」の人気から、玄米酢(黒酢)の生産量だけでも年間4677キロリットルという記録を作りました。

その後も、定着した人気と評価に支えられ、毎年3000キロリットルを超える安定した需要を維持しています・・・

そういえばここ数年ですよね、スーパーでも手軽に天然醸造酢やいわゆるきちんとした、お酢が買えるのは。

ちょと前までは合成酢や穀物酢以外の、天然醸造酢やもろみ酢などは、健康食材を扱っているお店や、大きなデパートに行かなければ、なかなかお目にかかれませんでした・・・

さて、今日はどんなお酢を飲もうかな?
ニッキーでした!

追伸/ぼくの場合、お酢の部分をお酒に代えてもしっくりきますが・・・(笑)


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